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コラム
2006年12月
ギャラは据え置き
  近所に行列の出来るラ−メン屋がある。以前は老夫婦がやっていて、その頃から地元では人気があった。しかし寄る年波には勝てず、店をたたむことになったが、常連客の一人が弟子入りして、5年前に店名もそのまま貰ってオ−プンした。
 
 メニュ−の中で[蒙古タンメン]というのが一番人気で、唐辛子とニンニクがたっぷり入った辛いス−プで、食べると冬でも頭のてっぺんから汗をかく。ところがこの辛さには甘みもあり、無性に食べたくなることがある。営業時間は11時から夜中の1時までで、昼時や夜8時以降はいつも並んでいる。TV番組や週刊誌のラーメン特集に、たびたび登場しているので、土、日は栃木や群馬ナンバ−の車に乗って食べに来る人もいる。
 
 ところが行列の割にはそれほど待たない。つまり客の回転率が良い。券売機で食券を買い、店員に渡して列に並ぶ。席が空くと店員の誘導で座る(相席は当たり前)。最近はこの手の店が多いが、博多のラ−メン屋で驚いたことがある。食券を買って店に入ると、全席がカウンタ−で隣との間に仕切りがある。つまり友達と入っても、会話が出来ないような仕組みだ。アルコ−ル類も置いてなく、一人でひたすらラ−メンを食べるだけ。なるほど客の回転は良いが、独房で食べているようで、味わえなかった。
 
 この蒙古タンメンは開店当初570円だったが、5年の間に少しずつ値上がりして現在720円也。支店も4軒に増え繁盛している。私も5年前に真打になり、萬窓という看板を上げたが、ギャラは値上げしておりません。来年もよろしくお願い申し上げます。
2006年10月
適当な良さ
  8月に小笠原の父島に行った。父島に住む知人にだいぶ前から「遊びに来ないか」と誘われていて、5泊6日での家族旅行となった(といっても船で約25時間かかるので、往復で船中2泊だが)。 さすがに25時間の船旅は長く、島に上陸してもしばらく身体が揺れているように感じたが、さっそく船で沖に出てシュノ−ケリングを楽しんだ。エサをまくと熱帯魚のようなきれいな色をした魚が集まってくる。それに混じって小型のサメも泳いでいる。慌てて船頭さんにそのことを告げると「大丈夫でしょう。咬まれたって話は聞いたことないから、、、」と適当な答え。幸いなことに怪我はなかったが。
 
 父島の海洋センタ−ではアオウミガメの保護をしており、今年生まれた子ガメを親ガメとともに海に帰すイベントがあった。子ガメはゆっくりした歩みながらも海を目指すが、親は寄り道をしてなかなか海へ向かわない。そのたびに海洋センタ−の職員が3人がかりで「どっこいしょ!」と軌道修正するが、これが見物客の笑いを誘う。適当に時間をつないで海へ入ったが、ウミガメに仕込んであるのかもしれない。このアオウミガメの料理は小笠原の名物で、刺身か煮付けにして食べる。煮付けはタマネギと一緒に煮込み、酒と醤油で適当に味付けするそうだ。くせもなく、牛肉に近い食感でスッポンとはまるで違った。
 
 土産にハカラメという植物の葉をもらった。この葉っぱを壁などに適当にぶら下げておくと、葉から芽が出る。これが名の由来だが、この芽を適当にハサミで切り落とし、鉢に植えて適当に水をやると、成長して薄紫色の花が咲くらしい。帰ってさっそくためすと、葉の端の数箇所から芽と根が生えてきた。鉢に植えたら、ひとつだけ根付いた。現在、適当に水を与えている。
 
 のんびりした船旅もたまにはいいし、島民ものんびりと適当な暮らしをしている小笠原に飛行場建設の話がある。交通の便が良くなり、観光客は増えるだろうが、東京都に唯一残る自然とこの島独特の適当な良さは失われるだろう。
2006年8月
自然体
 テレビをつけると各局とも旅と料理の番組が目白押しで、つい見てしまう。旅番組は見ていると行ったような気分になれるし、料理番組はレシピを増やすことができる。情報や知識を得るのはいいものだ。しかし、見ていて一番面白いのは動物の番組で、鳥の子育てやチンパンジ−のボス争いなどは人間社会に通じることが多い。
 
 以前、蟻の生態についての番組を見た。蟻は蜂と同じように女王蟻がいる。他の蟻はすべて働くかと思ったらそうでない。群れの7割しか働いておらず、残りは怠けている。蟻の中にも与太郎は存在する。そして群れから優秀な蟻を取り除き、与太郎だけになるとそのうち7割は働くようになるのだ。この7:3は蟻にとって最も効率がよいのだろう。たしかに数が多ければいいものではなく、少なくても力を合わせて働いた方がうまくいくことがある。
 
 寄席では前座が各席3、4人で手分けして働くが、私が前座時代、ある寄席に前座が6人いたことがあった。普段の倍仕事がはかどるはずが、かえってしくじった。どうしても他人まかせになり、お茶を出し忘れたり、高座返しが間に合わないことがあった。
 
  動物は生きるための行動にすべて理由があり、嘘もない。無駄にエサも獲らない。我々人間は自然に逆らって生活しているのがよく判る。
2006年6月
庭か廊下か
 先日、行きつけの居酒屋主催のボウリング大会に参加した。過去7度開催の、優勝トロフィ−もある由緒ある大会で、3ゲームの合計スコア−を争い、女性は1ゲ−ムにつきハンデ30。今回は16名で私は初参加だったが、2位と1ピン差で優勝した。参加者の平均年齢だと、私は若い方だったのが勝因か。その後は居酒屋に場所を移し、こちらがメインの表彰式を兼ねた打ち上げ。賞金もいただき、楽しい一夜が過ごせた。
 
 二つ目の頃、落語家仲間でボウリングが流行ったことがある。当時、ゴルフをやるほど金もなく、ビリヤ−ドの柄でもなく、飲んだ後はボウリング場へよく行った。
 
 先輩の落語家には今から30年前のブ−ムの頃、テレビのボウリング番組に引っ張りだこだった強者もいる。小せん師匠もそのうちの一人で、「平均スコア−250とは凄いですね」。「いやぁ、あの頃のピンはよく倒れたんだよ、演出上。今じゃ150いくかどうか」と笑っていたが。
 
  小三冶師匠もはまった時期があるそうで、志ん朝師匠にゴルフを勧められると断った。「あんな、他人の家の庭を借りる球転がしは嫌だ」。「ボウリングだって他人の家の廊下を借りてるようなもんじゃないか」。この一言でゴルフを始めたそうだ。
2006年4月
もう半分
 今年で落語家になり20年目を迎えた。前座が4年、二つ目11年、真打5年という割合だが、前座の頃の記憶はあまり定かでない。
 
 20年前の昭和61年の世相を調べると、まだバブル景気で、男女雇用機会均等法が施行され、社会党の委員長に土井たか子さんが選ばれ、ダイアナ妃が来日してアイドル並みの騒ぎとなり、アイドル歌手岡田有希子さんが飛び降り自殺をして、後追い自殺するファンが現れ、ビ−トたけしと軍団が講談社のフライデ−編集部に殴りこみをし、長寿世界一の泉重千代さんが120歳で天寿を全う・・・とこんな具合だが、「そんなことがあったか」程度だ。当時は前座修業に必死で、世相や流行に疎かったのだろう。この1年後にプ−ルバ−なるものが出来、ビリヤ−ドが大流行するが、私が始めたのは二つ目になってからだった。前座の4年間は寄席か師匠宅の思い出がほとんど。
 
 興味深いのはこの20年前のベストセラ−に細木数子の本がある。ズバリ言い出したのはこの頃からか。あの手の金持ちのオバサンはいつの時代もマスコミに重宝がられる。大屋政子、宣保愛子、鈴木その子など・・・
 
  まあ年齢から考えても、落語家人生で半分というところか。上には芸暦40年,50年の噺家が健在で、自分では「やっと20年」でも、先輩からは「まだ20年」だろう。よく区切りに「○○生活20年記念」とパ−ティを開く人がいる。私はそのような予定はありませんが、相変わらずご贔屓を願います。ただ「ぜひ20年のお祝いに」とおっしゃるなら、ご祝儀を喜んでいただきます。
2006年2月
裸の王様
 プロ野球参入、フジテレビと提携、衆院選立候補と様々な話題を提供し、昨年の流行語大賞を獲ったホリエモンが、ついに御用となった。拘置所の独房はとなりに和田被告が居るそうで、なんとも粋な計らい。二人にはなんとなく共通点がある。

 『髪結新三』という噺に「江戸はたった一夜で千両の金を儲けることが出来る土地だ」というセリフがある。IT産業で利益を上げ、多くの株式取得で六本木ヒルズに城を構えた彼にとっては、まさに天国から地獄だろう。彼の選挙応援に馳せ参じた自民党議員まで槍玉に挙げられた。

 「金で幸せが買える?」・・・・これは永遠のテ−マで、幸福の定義が人によって異なるので答えは出ない。ただ「人間は金が出来ると次に名誉を欲しがる」のは間違いないようだ。                         
 耐震偽造にしろ、証券取引法違反にしろ、いずれの当事者も往生際が悪いのには腹が立つ。彼らが有頂天になっていたかどうかは知らないが、こんな小噺を思い出した。

「金魚が水中以外でも生きていられることを発見した男がいて、金魚を毎日手ですくって鍛え上げ、2分、5分、10分・・・と記録を伸ばし、半年後にはこの金魚が男と散歩するようになる。近所の人々からもヤンヤの喝采。有頂天になった金魚が橋の上で小石につまずいて、川に落ちておぼれる」。

 側近からも見放された時代の寵児は、パソコンも携帯電話も使えない生活に耐えられるだろうか。
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